“俺”が“俺”として始まる原初の記憶は煉獄の燃え盛る大地の上での邂逅だった。


The world of contradiction
――Person who holds the original first desire――


「おや、この炎の中に生きている者がいるとは思わなかったよ。」
黒衣の女性はくすくすと口元に手をやりながら笑った。

「はぁ・・ぁはぁ・・。」
少年はそれに気付かずに一人小さな身体を引きずるように歩き、全身にはやけどの跡や、いくつもの傷跡が刻まれていた。

「そんなに急いでどこに行くんだい?」
その声は新しいおもちゃを見つけたような無邪気な響きを持っていた。

「はぁ・・たす・・て。」

「ああそうか、人間にこの熱は耐え難いものだったのを忘れていたよ。」
彼女は失念していたよと笑いながら手を振るうと彼女と少年の周りの炎を消した。

「はぁ、くうはぁあ・・は・・。」
少年は濃くなった空気を思い切り吸い込んで荒い息を吐いた。

「ふふふ、そんなに慌てなくても大丈夫さ。
キミは僕が助けてあげるよ。
この大災害の中で“キミ一人だけ”は・・ね。」
その言葉は少年の中に一本の楔を打った。
楔というのも生温い原罪の、彼の始まりの呪い。

その言葉を聞いたのを最後に少年は倒れた。
元々この火の中をこの年頃の少年が歩いていたのが奇跡に近かったのだ。
助かった安堵や、負荷で倒れてもおかしくなかった。

「さて、この子はどうしようかな。
九朗くんとはまた違った意味で面白そうな子だ。
ああ、よく“視れば”辿り着ける素質まで持っているようだ。」
ナイアは倒れた少年の身体を抱き上げながら呟いた。


そんなとき、一人の魔術師が近づいてくるのを感じてナイアはゆっくりと振り向く。

「やあ、“魔術師殺し”殿、そんなに血相を変えてどうしたんだい?」

「あなたがその少年を助けてくれたのか?」
“魔術師殺し”と呼ばれた男は突然の物言いに驚くが、それ以上に目の前の存在から発せられる邪気にぞくりと冷たいものが走った。

「そうとも、この子は僕が助けたさ。
キミが作り出した惨劇の中でただ一人“この子だけ”は助けることができたよ。」
そんな彼の気持ちを逆撫でするかのようにナイアは言葉に笑いを含ませて言う。

「違う!!」
男は耐えられなくなり、言葉をさえぎるように叫ぶ。

「違わないさ。
キミは多くを救うためにこの街を、ひいてはこの子の家族を犠牲にした。
それは間違いないはずだろう?」
ふふふ・・と楽しげな笑いは妖艶な美貌にこの上なく似合っていた。

「僕は・・。」
彼はその場に力なく膝を着く。

「じゃあ、そろそろ僕は行くよ。
この子の治療もしないといけないしね。」

「待ってくれ・・、キミは何者だ?
それに・・、その子をどうするつもりだ?」
ナイアは踵を返して歩き去ろうとしたとき、呼び止められた声に足を止めた。

「僕は・・、そうだな、ナイアとでも名乗っておこうか。
それに何者かと問われるなら、ただの気まぐれな神様といっておくよ。
それにこの子をどうするかだって?
ふふふ・・、この子は僕好みに育てでもしようかな。」
ナイアは本当とも冗談とも言える言葉を残して少年と共に今度こそ消え去った。

「ナイアルラトホテップ・・。
まさか、無貌の・・。」
男の呟きは誰にも触れることなく辺りに響き渡った。




あれから、数年の月日が流れた。
あの日俺は選択を迫られ、選んだ。

自らを“ナイア”と名乗った恩人は俺が目を覚ますと、楽しそうにあの事件の真相を語った。
彼女によればあれは魔術師が自らの欲望を満たすために生み出した強欲の釜。
望みのためならば他者を貶めることも厭わない外道が参加する戦争の結果だったそうだ。

それを聞いた瞬間、俺は幼いながらも怒りが湧き、全身の血が沸騰した気がした。

そして、ナイアは言った。
“復讐したくないのかい?
何もかも奪われたキミにはその権利がある。”

俺はごくりと息を呑み、抗えぬその目に促されるように思わず“どうすればいいんですか?”と聞いていた。

“簡単さ。
キミも魔術師になればいい。
幸いにもキミにはとびっきりの才能がある。
鍛えれば、こと魔術師戦においてキミに敵う者はいないほどの才能だ。”

“魔術師・・・。”
嫌悪感を隠せぬように呟きを漏らす。

“不満かい?
だが、ただの人間のままでは何も出来やしない。
マギウスを目指すのもいいのかもしれないけれど、残念な事にキミにその才能はない。
ならば魔術師になればいい。
法外な力に対抗するには同じ法外な力に頼るのしかないのだからね。
それとも、キミは何も出来ないまま終わるつもりかね?”

さあ、選べ・・と、その目は語っている。
けれど、含み笑いを浮かべている彼女は俺が出す答えはもうわかっているように見えた。

“あの惨劇を繰り返さないためにも、力に対抗するためにも魔術師になりたい。”
俺は彼女の期待を裏切ることなく選んだ。
力を得ることに躊躇は無かった。
たとえそれが茨の道だとしてもあの煉獄の惨劇を繰り返さないことに比べれば自身の痛みなど問題にすら感じなかった。


それから1年間、俺は食事や排泄などの行為以外の時間の全てを使ってひたすらに魔術回路を作り上げることに専念した。

ナイアは魔術についてはほとんどなにも教えて貰えなかった。
教えてもらったのは俺の魔術属性と、魔術回路についてくらいだ。
彼女曰く、俺に“普通”の魔術の才はなく、ただ一点に特化しているらしい。

あるとき、ナイアになぜ俺の属性や、魔術の存在を知っているのかを聞いてみたことがあったが、彼女は“僕じゃない僕がキミであってキミじゃない到達者と出会ったことがあるからだよ”というわけのわからない言葉で誤魔化されてしまった。

それから、その数年後。
俺の身体は魔術の影響で肌は浅黒くなり、赤かった髪の色素は抜け落ちてしまうと同時にそれゆえか投影も苦にならなくなり、まだまだではあるが魔術師として腕が上がったことから皆伝の餞別にナイアに世界の様々な武具の記憶を見せてもらい戦略の幅が広がった俺は旅に出ることを決意した。
だが、その記憶の中にある武具の中には存在概念が読みにくく、とてもではないが投影できる代物ではないものが多々あったのは残念といえば残念だ。

そして、その旨をナイアに知らせると彼女は薄い笑みを漏らしただけで反対することは無く、喜んで送り出してくれた。



旅立ちの日になり、俺はナイアに深く頭を下げて“ありがとうございました”と言って振り向かずに歩き出した。

ついに彼女のことは最後までわからずじまいだったのが心残りである。
彼女は俺をあの地獄から助け出し、戸籍も無く、名前しかわからない俺を育て、魔術師としてのあり方まで教えてくれたいわば師匠とも呼べる存在だった。
もっとも、育ててくれたというには彼女が家にいることの方が稀でもあったが、それでも自分がここまで生きてこられたのは彼女のおかげであるし、それは変わらない事実でもあり、たとえ彼女が何者であろうとも育ててもらった恩義を忘れることは出来ない。

だけど、旅立ちの瞬間にもう彼女に会うことは永遠にないのかもしれないと漠然と思った。
その予感に突き動かされるように後ろを振り向くとそこには先ほどまであった家は忽然と消えていてそこはまるで最初から何も無かったかのように更地が残されていた。


もはや、帰る場所すらなく、全てを失った自分にはお似合いだなと思い、再び当てのない旅へと歩き出す。
たとえ、この先辛いことが待ち構えようとも俺は立ち止まらないだろう。
失ったものと、犠牲になってしまった人たちのためにも俺は人を救わなければならないのだから・・。


あとがき
リクエスト作品です。
経過は大分手が抜かれていますが勘弁してください。
やっと書きあがりましたよ。